安寿と厨子王の供養塔
合併前の上越市 
安寿と厨子王の供養等
安寿姫と厨子王丸の物語は、昔は謡曲「婆相天」、近松門左衛門作の浄瑠璃、近年では森鴎外の「山椒太夫」などによって知られる。物語中のモデルとなった応化の橋は今はなく、荒川橋近くにこの供養塔が建てられていたが、昭和62年3月に関川改修のため現在地に移築された。この供養塔は林芙美子の「放浪記」で紹介されている。

「山椒太夫」…永保初期(11世紀末)、陥れられて西国へ追放となった奥州陸奥国の大守、岩城判官正氏のあとを追って旅立った妻は佐渡へ、安寿姫と厨子王丸の姉弟は丹後へ売られてしまった。姉弟は残忍な山椒太夫に酷使されながら逃亡の機会を見つけたが、弟を逃がすため安寿姫はつかまって殺されてしまう。無事のがれた厨子王丸はのち京に出て養子となり、やがて父の罪も許されて、丹後・越後・佐渡領域をいただいた。そして丹後におもむき、山椒太夫を死罪にした厨子王丸は、佐渡へ旅立ち、母を訪ね歩いた。道端で鳥追いの老女が “安寿恋しやホウヤレホウ厨子王恋しやホウヤレホウ鳥も情あるものなれば追わずとも去れやとうとうに“と歌っていた。それは、なつかしい母の変わり果てた姿であった。

DATA
住所
上越市中央3丁目
電話番号
025-526-5111(市観光振興課)
HP
関連サイト(上越観光Navi)

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